中学校の体育祭に行ってきた

妹ちゃんの中学校の体育祭に行ってきた。

コロナの時からで、今となれば、コロナも終了しているのに、
体育祭は短くなり、約2時間で閉会する。
観客も、1家庭あたりの人数も制限されて、
参加者のリストバンドで管理される。

でも、若者達の活力には、元気をもらえる。
走っている姿を見ると、自分の足も動きそうになる。

体育祭実行委員や、応援団長や、選抜リレー選手を兼任してそうな、
身体が大きくて、いかにも足が速そうなやつがいる。
実際、リレーですごいスピードで走っている。
あんな風になりたいなと、思ったことがあったな。

でも、勝ち負けを判断する競技は変わる。
運動が得意なやつが勝つ時代。
体育祭の後、受験がやってきて、
勉強ができるやつが勝つ時代になる。
就職して、何のゲームに参加しているか分からない時代になる。
そして、「勝たなくてよい」時代が来る。

あれだけ早く走れても、次の時代の競技になれば、
なんの意味も無くなる。
でも、文武両道、運動も勉強もできるやつがいたな。
あいつも、そうなのかもしれない。
運動や勉強や給料など、それ以外の指標があることに、
気づく日が若者達にも、早く来るといいな。

とはいえ、若者が全力で入っているのを見ると、力がもらえる。

チーム対抗の応援で、あるチームの応援パフォーマンス中に、
予定していた音楽が流れなかった。トラブルだ。
少し待っていた。長い時間に感じた。1分くらいだったかもしれない。
そこで、応援団長の女の子が、手拍子をしだし、音楽無しで始めた。
周りも、え?やるの?ってなってたけど、
すごい練習をしていたのだろう。
音楽が無くても、みんなの動作はそろっていた。

青春の1ページのために、がんばって練習していたのに、
音楽が流れなくて、練習の成果を出し切れず、悔しかっただろう。
僕は、カメラを回しながら、そんなことを想像して、涙ぐんでしまった。
応援団長の女の子の判断は、英断だったと思う。
チームメンバーのことを信頼していたのだろう。
機転と勇気と、メンバーも団長のことを信頼していたのだろう。

ところどころで、先生が偉そうにしているところが鼻についた。
ラインカーをガンと押し飛ばしたり、生徒達に対する言葉もだ。
あと、観客のカメラ場所の前に先生がうろついたり。かぶってるし。
変な全身真っ赤なピッチピチの服を着てる先生がいたり。
赤組だからなんだろうけど。見た目が不快である。
せめて、見えるところでは、しっかり振舞ってくれ。

校長先生の最初の挨拶も、マイクのハウリングがひどかったけど、
そのまま話し続け、先生達も誰も対処しようとしないし。
音楽が流れないとか、毎回のような気がして、
先生のミスは、生徒からは怒れないから、不平等だよな。

あと、運営の想像力の欠如だろうか。
配られるプログラムの紙も、競技名だけで、
誰が何番目、どこをどのように走るのかも、説明がない。
まぁ、子供とコミュニケーションをして聞き出せということかもしれないが、
思春期の時期でもあるので、親達に、それくらいは運営として示すべきだと思う。
最後の点数結果発表の時も、観客側から見て、
点数板の裏側しか見えず、得点が見えなかったり。

プログラムの中に意味の分からない言葉もあった、閉会式のあとの「解団式」って何?
生徒達の実行委員は、親の立場のことまでは想像できないしても、
先生達は何年やってんの?体育祭も2時間になったんだから、
想像力を利かして、しっかりサービスしてよね。

とはいえ、何事も手段としてではなく、目的として楽しむべきだから、
こんなことを考えながら、自分も見ることを楽しみましたとさ。

音楽が流れない、手拍子の応援パフォーマンスは、
今思い出しても、涙が出そうになる。
ありがとう。良いものを見せてもらいました。